スペシャルインタビュー vol.5 牛尾理恵(料理研究家)
果てない空インタビュー
このブログでは有名無名問わず高い志を持った方々のインタビューも掲載していきます。
第5回目は料理研究家の牛尾理恵さん。牛尾さんは今までいくつもの著書をお持ちになる実力派の料理研究家さんでいらっしゃいます。牛尾さんが精力的に活動する源、おいしいレシピのことなどをお聞きしました。
第5回 牛尾理恵(料理研究家)
料理研究家。フードコーディネーター。普段の食生活で実践できる作りやすくて味わい深いレシピに定評がある。著書の「圧力鍋でつくるおかずの感動レシピ」(成美堂出版)は圧力鍋初心者から高い支持を受け、ベストセラーに迫る勢い。最近出版された「春・夏・秋・冬 我が家の一年中圧力鍋レシピ」も好評。「かんたん・ごきげん! おいしい犬ごはん+おやつ」、「基本とコツがきちんとわかるおせち料理とほめられレシピ」(成美堂出版)など著書も多数。
「食べることって大切にしなきゃって思います。」
ー料理研究家という職業は特殊な職種かと思うのですが、牛尾さんはどうして料理研究家になろうと思ったのですか?
「小さい頃は食べることに興味がなく、食べる量も少なくて…お母さんに「もっと食べなさい!」って言われている子だったんです。ですが、短大に行く時に生物は好きだけど歴史が嫌いで、受験科目が生物、国語、英語で受けられるのが栄養学科とか看護系でした。でもどうせ短大に行くなら資格がとれた方がいいなと思って、栄養学科がおもしろそうだなと思い、行ってみようと思いました。」
ー短大で料理に目覚めた感じですか?
「いや、短大に入っても料理は相変わらず興味がなくって。調理実習でも私、洗い物担当みたいな感じだったんです。だから短大の友達は私がこんなお仕事するなんて思ってもみなかったと思いますよ。それから短大を卒業して広島の親の実家で栄養士をやることになりました。そこからだんだん料理ができるようになると、今度はこういう器に盛りつけてみたいなとか、こういうコーディネートしたところにお花飾りたいなって欲がでてきて料理関係の仕事ができたらいいなと思いました。」
ーそれから本格的に料理研究家の道に?
「とある有名な料理研究家の先生のアシスタントの募集があったので、応募したら採用が決まったんです。その頃その先生がメディアにたくさん出始めた時だったので、レストランと料理教室と撮影をみんなで掛け持ちしました。その時初めてフードコーディネーターっていう存在を知って、それで目指してみようと思いました。でも色々勉強してってタイプじゃなく、とりあえず飛び込んで体で覚えたいタイプなんですよね。フードコーディネーターの学校があることすら知らなかったぐらい。そして先生の所を辞めた時になぜか花屋さんで働いてみようって思ったんです。」
ー意外な選択ですね。お花屋さんはどれくらいやってたのですか?
「そこで2年くらいバイトしながら同級生を集めてお料理教室を開いたりしていました。でもお花屋さんはやってよかったな〜って思います。季節感が意識できることと、アレンジメントが盛りつけとすごく似てて、バランス感覚が学べたと思います。そのあと友達が始めた赤坂のデリのお店を手伝ってほしいって言われ、そのお店を手伝いました。そのお店は楽しかったのですが、すごく忙しくて…。毎日から揚げを揚げてもフードコーディネーターにはなれないな、そろそろ本腰入れなきゃと思ってた時に、求人雑誌を見てたらたまたま食の専門会社の募集がでてて。そこの調理部門に入りました。そこでフードコーディネーターとして会社に来た広告系のお仕事をしていました。」
ー広告には牛尾さんの名前は出るんですか?
「それは会社名だけで私の名前はでなかったのですが、私もフードコーディネーターを目指していたものの、一生に一度くらいは自分の名前が残るような本を作ってみたいなとは思っていたんです。その時そこで運良く自分の名前が出る本を何冊か出すことができました。それはラッキーでしたね。そこを辞めてからも色んな人のご縁があって助けていただきながら今ここに至る感じです。」
ーどうやったらなれるかというのは人それぞれですか?
「私も時々フードコーディネーターの学校で講師をさせていただいたりするんですが、なる道はたくさんあるんだけれど、なり方は1つじゃないので、学校行ってっていうのも1つだし、私みたいに流れに身をまかせてっていうのも1つだし、派遣会社に登録するっていうのもあると思います。」
ーやっぱり栄養士の資格って必要ですか?
「フードコーディネーターに関しては栄養士の資格も必要ないし、極端なこというと私、フードコーディネーターの資格持ってないんです(笑)ただ、栄養士の資格持っていることで食材のことがわかったり、料理に関する知識が増えるのであった方がいいと思います。」
ー料理研究家さんってレシピを考えるのは大変じゃないですか?
「企画ありき の仕事をふられることも多いので、その時その時の条件や決まりがあって大変ですね。その点、秋に出た圧力鍋の本(春・夏・秋・冬 我が家の一年中圧力鍋レシピ―旬の圧力鍋おかず213レシピ)は食材は決まってましたが、味とか調味料とかは割りと自由にやらせてもらったので、とても楽 しかったです。」
ーAneCanでレシピも担当していらっしゃいますがあんなにたくさんお作りになって大変ではないですか?
「32種類作るので、レシピも思いつくまま作っています。食材も若い女の子が好きそうなものをとりあえず組み合わせ てみるとか、普通の人だったら思いつかないものをトッピングしてみるとか楽しみながら作ってますね。この前もハンバーグの特集だったのですが、若い女の子にウケそうなチョコレートソースを作ってみたりとか。他にもナンプラーみたいなアジアン風の味も好きだし、美容の為にはアボカドは欲しいよねと か、コクを出すにはチーズだよね、とか、キムチって意外といつも冷蔵庫の中にあるよねとか…。そういう特殊じゃないけど若い子が好きそうな、初心者だけど色々チャレンジしたい感じの人対象なので、私もおもしろがってレシピを考えていますね。」
ーメニューやレシピを考えるときって何をヒントに考えるんですか?
「自分の経験と想像力ですかね…。お洋服をコーディネートするのに似ている気がしますね。例えば、スカート買う時に自分の持ってるあのブラウスと合わせたらかわいいかなってまず頭のなかで想像するじゃないですか。あとこのスカートのラインや丈って私に似合うかなって。それは経験値ですよね。そんな感覚なんですよね。プラスこのアクセサリー足そうとか、このバッグにしよう、この靴にしよう、このタイツ履こうとか。それが調味料だったり、スパイスみたいなものだと思います。だから経験は自分が作ったものでもアリだし、どこかのお店に食べに行ったものがヒントになったりとか色々だと思います。」
ーレシピにご自身がお好きな食べ物っていっぱい使っちゃったりしますか?
「いっぱい使っちゃいますね!なんかアクセントにケッパー入れてみたいなーとか、なんかこう入れたい食材はありますね。好きな系統の味付けとか。」
ーそれでみなさん共感して下さるから、読者の方の舌と合っているんですね。
「でも私は元々フードコーディネーターとしてキャリアをスタートしたので、デパートのカタログとかメーカーの商品のパッケージとかの撮影をするのもすごく好きなんです。でも本を出すと中々そういう広告系のお仕事が減ってきちゃいますよね。本の撮影というのはスピード勝負で一回で作らなきゃいけない量が決まっているのでどんどんこなさなきゃ!って感じですが、広告のお仕事はどれだけおいしそうに商品を見せるかって丁寧にやっていかなきゃいけないお仕事なので、私の几帳面な性格にあってるのか、それはそれで楽しいんです。だからあんまり料理研究家っていう括りに縛られることなく、もうちょっとバランスよく広告系のお仕事もやれたらいいなーと思っています。」
ーその広告だったり、本が形になった時に顔は見えないですけど、手に取ってくれた方とか目にした方のこととか考えたりしますか?
「考えますね。料理本は特に友達や親戚だったり近い人が目にするのでやっぱり「いい本ね」って言われると嬉しいし、だからあんまり恥ずかしい本は作りたくないっていうのはあります。それから最近は楽天ブックスやアマゾンとかでレビューを書いてあるのをどんなこと書いてあるのか怖いのであんまり頻繁には見れないですけど…、時々見て、参考にしています。知り合いの方にもあの本に載ってる牛すじっていつ作ってもおいしくって誰に食べさせてもおいしいって言ってくれるって褒めてもらって嬉しかったです。確かにこれドンピシャ!ツボなの〜!って料理が1品でもその本の中にあったら、その本って大切にするじゃないですか。そういう本が作れたらいいなと思ってます。でも1品だけじゃ本が成り立たないので(笑)そういう料理がたくさん載ってる本を目指してます。」
ー牛尾さんのお料理なのにそれが誰かの得意料理になるってすごいですよね。
「そういって下さると嬉しいですよね。でも、本にある味付けだけがすべてじゃないのでオリジナルの好みのものに作りかえても問題ないんですよ。」
ー食べることって大事ですよね。食べることに興味がないって人でも絶対食事しますから。
「「地球の食卓―世界24か国の家族のごはん」って本があるのですが、その本に載ってる貧しい国の方々でも着る服は1枚だったとしても、調理器具は何個もあるん です。突く棒だったり、臼だったり。それが全財産みたいなお家とか。でもそれが生活するために最低限必要なものなんだなって。だから食べることって大切にしなきゃって思います。」
ー牛尾さんの得意な料理とかありますか?
「圧力鍋をさんざんやったので煮物系が得意ですかね。家庭料理ですね。毎日のことなのでね。」
ー盛りつける器とかにはこだわりとかはありますか?
「土屋典康さんという陶芸家さんと親しくさせてもらっていて、その土屋先生の器を使わせてもらっています。撮影の時とかも評判がいいですね。」
ー牛尾さんと言えば、犬ごはんの本も代表作の1つですが、ご自身でも手作りなんですか?
「作ってますよ!まとめて作って1食ずつ冷凍して。うちのピノ(牛尾さんの愛犬)は最初全然ドッグフード食べてくれなかったんですよ。本当にどうやったらごはん食べてくれるのかなって。しつけ上、人が食べてるものをあげちゃいけないって言われて、その味を覚えちゃってドッグフードを食べなくなるって言われてたので、どうしようって躊躇してたんですけど、あまりにも食べないので試しに作ってみたんです。そうしたら、食べること自体が楽しくなったのかドッグフードもよく食べるようになったんです。今は何をあげても食べてくれるから、手作りにして良かったなと思いますね。犬って仲間意識が強い動物なんで、こうやって人間と同じものを食べることでより人間と近く感じられて、絆も深まった気がしますね。」
ーあと、このお仕事について一番よかったことはなんですか?
「おいしいものがいっぱい食べられること…ですかね。あとこの本売れてますね!とかいう評判を聞いたり、本の出来上がりを見た瞬間もそうなんですが、あぁよかった〜って思いますよ。」
ー逆に大変だったことは?
「やっぱり体力ですかね。現場になるとずっと1日立ち仕事だし、前日から食材の買い出ししたり、食器のリースに行ったりとか動き回ることが多いので、体力勝負だなって思いますよ。1回肺炎で入院してしまったことがあってその月はたまたま撮影が少なかったんですが、1つどうしても動かせない撮影が入っちゃってて、打ち合わせの段階から40℃近く熱がでてて、あまりに熱が高いので父に電話して聞いたら「それは肺炎だね、そのまま病院は行きなさい!」って言われたらその通り肺炎でそのまま入院することになって。その時は他の方に代わってもらえたので本当によかったんですけど、代わりがいない仕事なのでちょっと気をつけなきゃいけないので日頃からヨガや筋トレやったりして鍛えてます。」
ー今たくさんお仕事のオファーがあってお忙しいと思いますが?
「私はまだこの業界では若手なので体力ありますし、真面目にやる方なので牛尾さんならこなせるだろう〜って思いでお仕事をいただけてるのかなと思います。なので皆さんの要望に少しでも答えられるように心がけています。そしてこれからはもうちょっと自分らしい特徴もだせていけたらと思っています。これなら牛尾さんだよねって言ってもらえるようになりたいです。」
ー今後の目標をお聞かせ下さい。
「実は、収納アドバイザーになりたいんです。もともと収納には興味があってハウスキーピング協会の試験を受けるものなんです。元々几帳面で真面目な性格っていうのもあるんですけどその性格をいかしつつ、キッチンまわりをいかに快適に収納しつつお料理上手になれますよっていう提案ができたらと思っています。ただ単になんでも捨ててキレイにするということではなく、新しいキッチン用品や自分の好きなテイストのものをそろえているうちに、ぐちゃぐちゃってなっちゃうってことが多いと思うんですけど、「厳選した調理道具でいかにおいしく手際よくお料理が作れるか」という収納と料理を合わせたようなことができればいいなと思います。」
いつも明るく朗らかな牛尾さん。料理ってその方の人柄がでるような気がします。今月号から「栄養と料理」で連載が始まり、ますますお忙しくなるそうです。これからもさらなるご活躍をお祈りしています。
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スペシャルインタビュー vol.4 大渕祐介(飼育トレーナー)
果てない空インタビュー
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第4回目は飼育トレーナーの大渕祐介さん。大渕さんがなぜ水族館でトレーナー、飼育員を始めたのか、水族館の魅力はなんなのか。そんな疑問をぶつけてみました。
第3回 大渕祐介(飼育トレーナー)
東京動物専門学校卒。2000年から横浜八景島シーパラダイスに務め、ふれあいラグーン、水処理担当を経て現在はパフォーマンス展示チームを担当。
「お客さんに喜んでいただいてもっと水族館の良さを知ってもらえたらいいと思いますね。」
ーまずは大渕さんがどうしてこの職につかれたのかをお聞かせ願えますか?
「小学校の低学年の時に先生がクラスの中で班を作って、ヒヨコを一羽づつ渡して、その班のなかでAくんはお父さんねとかBさんはお母さんねとか家族の役割を決めて、雛からニワトリまで育てるっていうのをやったんですけど、それがまず最初の動物とふれあいでしたね。その頃は動物園で働きたいな〜とか思ってたんですけど、小学生5、6年生の時に地元の水族館に行って、そこでショーをやっているスタッフの人がすごい楽しそうにやっているのを見て、それから自分は泳ぐのも好きだったので、この仕事についたら泳げるし見てるお客さんも楽しめるし一石二鳥だなと思って、それでイルカのトレーナーになりたいと思いました。」
ー動物全般お好きなんですか?
「そうですね。全般好きですね。犬や猫も好きですし。」
ーお家で飼われてたりとか?
「それがなかったんですよ。だから余計に動物を飼育したいっていうのがあったのかな。」
ー生まれたところに海は?
「ないですね。山の中にいたので余計に水族館って面白いなって思ったのかもしれないですね。身近にないじゃないですか。夏休みとか特別な時にしか行けなかったので。山の中ではタヌキとかは見れますけど。だから夏休みとかに行く楽しい場所っていう意識があったんじゃないかな。」
ー嫌いな動物とかは特にいないんですか?
「えーっと、蜘蛛…(笑)」
ー虫ですね(笑)虫が駄目なんですか?
「いや、蜘蛛だけですね。あとフナムシも駄目ですね…。」
ーそれで話を戻しますが、どういった経緯でトレーナーになったのですか?
「動物の専門学校に行きまして、そこで2年間学んで、そこを出てから最初は福岡の水族館の方に行ったんですね。そこで約5年働いて、その後は新潟の水族館で働いてて。そこはアルバイトだったので期限があって他のところを探してたら、ち
ょうど「横浜・八景島シーパラダイス」で新しい水族館「ふれあいラグーン」がオープンする時で。スタッフ募集がかかってたので、それで応募して。なので最初は「ふれあいラグーン」の方でスタッフとして働いて、それから水質管理を行う水処理に行って、現在はホ乳類の飼育やショーの運営を行うパフォーマンス展示ってところにいます。」
ートレーナーになるための特別な特訓というのはあるんでしょうか?
「特別なことっていうのは特にないのですが、基本的に観察力を養うのが大切になってきますね。体調の悪い動物がいつもと違うのに気付けるかは大切なことですから。あとは潜水士の資格を積極的に取るように言われています。潜水士の資格がないと水槽の中に潜れないので。専門学校で取る者もいますし、持ってないものは入社してから取ったりもします。」
ーもともとイルカはお好きだったのはどうしてですか?
「何ででしょう…。多分哺乳類がいいな〜って思っていて。昔イルカショーを見た時に楽しそうにやってるのがよかった、っていうのもあるでしょうね。イルカの動きも良かったですし。」
ーこちらではオタリアが字を書いたりもしますが、やっぱりイルカとかオタリアとかは頭がいいんですか?
「そうですね…それぞれ能力があるので、何を持って頭がいいとするかは難しいんですが、イルカは反射神経が優れていると言われてますね。ジャンプのトレーニングをしてて、サインを作ってそのジャンプのサインをした時にはジャンプするとか。回転したりとか。
アシカとかは住んでいる場所が岩場とか、陸上で休憩するので、ああいうヒレアシの動物達は記憶力に長けていると言われてます。休憩する場所が決まっていて、魚を取りに離れたとしても、ここのところを右に曲がって〜とか、ここにはでっぱりがあるから気をつけて〜とか地理を覚えて自分たちの住処まで帰るって聞きました。
ペンギンも頭いいですね。顔も覚えるし、声も覚えるし。」
ーそれぞれに能力があるんですね。ショーの時には、イルカとトレーナーさんの意思の疎通とかも大事だと思うんですが、以前イルカがトレーナーさんのサインを見過ごした?その通りにしなかったのを見たことがあるんですが、動物がサイン通りに動いてくれない時ってありますか?
「そうですね。そういう時もたまにありますね。健康状態、体調が悪い時とか。あとは発情してるときとか。トレーナーよりも他のイルカとかメスが気になって、注意が散漫になってサインを見逃すことがありますね。」
ーイルカってショーの時にあんなたくさんのお客さんを前にしても緊張したりとか暴れたりとかしないんですか?
「あれだけ距離があるので緊張したりはしないですね。」
ーイルカって目はいいんですか?
「目はいいって言われてますね。昔はよくないって言われてたんですよ。今は水面から顔を出して空気に触れててもトレーナーのサインを見て種目をやってるので目はいいと思いますね。」
ートレーナーになってよかったことはなんですか?
「お客さんと接してお客さんの反応を直に見られることですかね。こっちが提示したらパッと反応が返ってくるので。それがやってて面白いところだと思いますね。」
ー逆に辛かったことって何ですか?
「動物が死んでしまうことが一番辛いですね。あとは冬の寒さが辛いです…。」
ー亡くなった動物との想い出ってありますか?
「ふれあいラグーンにいた頃に担当していたイルカが去年病気になってしまって。大きい水族館に移って治療していたのですが、その治療の甲斐もなく亡くなってしまったのが…。自分が八景島シーパラダイスにきて一番最初に受け持った動物だったので、思い入れが強い分亡くなってしまった時のショックは大きかったですね。胸にぽっかりと穴があいたような感じで辛かったです。」
ーこのお仕事で一番心がけていることってなんですか?
「一番心がけているのは動物の健康管理ですかね。自然から連れてきて、飼育するってことでお客さんによく知ってもらうために健康でいてもらうことが大事だと思ってます。それと平行してやっぱりサービス業なので、お客さんにその動物のことを知ってもらったりだとか、水族館は楽しいなと思ってもらえれば。楽しいから今度は動物のことについて調べてみたいなだとか、そういう方向に向いてくれると嬉しいです。自分が水族館にきてこの職に就きたいって思ったみたいに、今の小学生とか中学生とかが同じように思ってくれたらすごい嬉しいなって思います。」
ーバックヤードの見学とかも行われているんですか?
「そうですね。小学生・中学生向けに行っています。」
ーでは大渕さんだけが知っている海獣の秘密を教えてもらってもいいですか?
「多分一般の方って見たことないと思うんですけど、アザラシのヒゲってスッてまっすぐじゃなくて、ねじれみたいになってるんですよ。抜けたものを見てみると。何でかって言うと、ヒゲで波の抵抗を受けるんですけど、魚が泳いだ時の波を感じ取りやすいようにねじれたようになってるんですよ。なので犬みたいにつるんっとしてないんですよ。」
ー他のヒゲがある動物にはない特徴なんですか?
「そうですね。オタリアとかアシカとかはつるんとしているんですよ。なのでどちらかというとアザラシの方が水中で生活するのに適した体つきになっているからなのかなと思います。」
ーやっぱり受け持ってる動物の顔って個々にわかりますか?
「わかりますね。口角が上がってるイルカもいれば、下がってるイルカもいたり。それからイルカって傷が人間みたいに再生しないで白く残ったりするんです。そういった傷で判別したりとか。これはここに傷があるから誰々とか。そういうのはありますね。あとはアシカとかであれば顔は全然違うし、ペンギンも見てれば顔で違いがわかってくるし、あとはお腹のところに黒い点の模様があるんですが、それも一羽一羽絶対に違うんですよ。なのでそのへんで見分けたりとかですね。」
ー最後にこれからの目標を教えて下さい。
「何でもできる飼育係になりたいです。今は海獣とかずっとやってたのですが、お魚とかもやってみたいです。お魚に関してすごい世界が広いと思うのでそっちにも手を伸ばせて行けたら、自分の世界も広がっていくし、お客様にもどんどん情報っていうのも提供できると思うので、お魚もできる飼育係になりたいですね。」
インタビュー中、思わぬところから大渕さんとは同郷でしかも同い年ということがわかり、妙に親近感が湧いてしまいました。本当に動物が好きで真面目に動物と向き合っている方でした。こんな方が飼育員さんだったら動物も幸せだと思います。
時間の都合で全部見ることができなかったので、今度はプライベートで遊びに行きたいです!!
スペシャルインタビュー vol.3 成城大学映画研究部
果てない空インタビュー
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第3回目は成城大学映画研究部。こちらの映画研究部は大学生ながら自ら映画祭を立ち上げ、企画・運営されています。その映画祭も今年で8年目になるそう。かなり大規模な映画祭をどうやって学生だけで作りあげているのか、また自らも映画を作っているその舞台裏などもお届けします。
第3回 成城大学映画研究部
成城大学の学生で作られた映画研究部。現在の部員は60人ほど。8年前より独自で「成城映画祭」を開催。OBには中村義洋監督(「チームバチスタの栄光」「映画 怪物くん」)田中誠監督(「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」)、熊澤尚人監督(「虹の女神」「おとなり」「君に届け」)などがおり、日本映画界をリードする若手監督を多数輩出している。
成城映画祭
成城大学で開催されている今年で8回目になる映画祭。年に1度日本全国から自主制作映画を募集し、コンペティション形式でグランプリを決める。ここから未来の日本映画界を担う逸材が生まれる場として注目されている。
日時 2011年 12月18日(日)
12時会場 12時半開演
場所 成城大学7号館4階007教室
入場料 前売り券 200円 当日券 300円
今年の成城映画祭で上映されるのはこの4作品です
「素人でも気持ちがあれば、楽しくいい映画が撮れるんです。」
ーまず、どうして学生だけで映画祭を開催しようと思ったのか、そのいきさつを教えて下さい。
「もともと映画研究部で年3回、定期上映会というのをやってたのですが、それは5人もいればできてしまう規模のものでした。でもこれだけ部員が増えてしまうと仕事が割り振れない部員がでてきてしまって…。居場所がない部員がでてくるんじゃないかということで、部員全員が携われる大きなイベントをしよう!ということで始まりました。」
ー今年は日本国内から自主制作映画が70作品も送られてきたそうですが、最初からそんな大きなイベントだったのですか?
「最初は知名度もなかったし、規模も小さかったと思いますね。」
ーこの8年の間にお客さんは増えていきましたか?
「それがそうでもないんです。ここ3年くらい同じくらいの入場者数ですね…。毎年大赤字です。」
ー赤字だと今年はやらないという選択肢もあると思いますが?
「毎年人が入れ替わるので、今年は開催するかしないかという話し合いは行われますね。実を言うと8回目までよく持ったなっていうのが正直なところで。」
ー来年は開催しないかもしれないということもありえるんですか?
「それは該当する学年の部員が決めることなので何とも言えないですね。」
ー映画祭で上映する作品はどうやって決めるんですか?
「たくさんの自主映画が送られてくるんですが、これは自主制作の映画の中でもいいなって思うものや、心惹かれるものをどんどん残していって最終的に5本選びます。それを部員全員に見てもらってどれを上映するか決めました。」
ーそれを審査員の方に見てもらってグランプリが決まるのですか?
「そうですね。それと来ていただいたお客さんが決める観客賞もあります。」
ーこの映画祭にはたくさんの映画が送られてくると思うのですが最終的に4つに絞るのは大変じゃないですか?
「そうですね、かなり。数が多いので部員の中から選出した審査員が毎日映画を見て。今まで、部員みんなで見てたんですよ。だから1人が見る映画も少しで済んでたんですけど。今年は審査員をもうけて見よう!ってことになったのですごく大変でした。」
ーこの4つの作品が皆さんの心にひっかかったのはどこらへんなんでしょうか?
「この4作品は自主映画でしか撮れなかった作品だと思います。商業映画とは違った魅力のある…そういう作品が揃ったと思います。まず「春夏秋冬くるぐる」は細かすぎて伝わらないモノマネ選手権に出ている弾丸ジョッキーさんが主演なんです。私は「トキワ荘の青春」という映画が大好きなんですが、その映画の感じによく似ています。青春というか大学生の感じがよく描かれています。そして「壁女」は主役の女性が美人ではなく普通のだらしない女性なのですが、そんな女性のラブストーリーです。登場人物も面白いですね。短い作品なのですがちゃんと映画として成立している、とてもおもしろい作品です。「こぼれる」は、割とひとつのシュチュエーションで撮っている作品で、役者さん達の演技が特によかったかなと思います。最後の「ENCOUNTERS」は人形劇なんです。そしてアクションがメイン。サンダーバードみたいな感じですね。すごいおもしろいです。声も声優さんが1人でやってる。この作品は個人的に深夜に放送してもらいたいくらいの出来だと思いますね。」
ーそして映画祭だけではなく、自身で映画の製作にも取り組んでいる皆さん。ここからは自分で映画を作る楽しみや喜びそして大変なことなどを聞いてみました。
ーみなさんはどうして映画研究部に入ろうと思ったのですか?
「みんな先輩に誘われたり、もともと高校から演劇をやってたりとか色々です。だいたいが映画が好きで入った人が多いですが、実はあんまり映画見ないとか言ってた部員もいましたね…。」
ーみなさんは学生さんなので、授業などがあってお忙しいと思いますが、自主制作の映画はいつ撮っているんですか?
「土日だったり夏休みなどの長期の休みを利用して撮ってます。」
ー1本の映画を作るには、だいたいどれくらいの費用がかかるものなんですか?
「まぁ ピンキリなんですけど…。この間撮ったのは…二桁くらいの数字いきましたけど。5万くらいですんだ作品もありますね。カメラや機材などは部にあるので、そ れを使って。かかる費用はレンタカー代だったり、食費だったり、外部の事務所に所属している俳優さんに頼めば人件費もかかります。」
ー映画のストーリーだったり題材っていうのはいつ浮かんだりするんですか?
「だいたい雑談ですね。今度こういうの撮りたいからちょっと詰めていこうってなることがほとんどです。
あとは色々悩んでいた時があったのですが、そんな時東京学生映画祭に出かけて。ゲストでいらしてた田口トモロヲさんが「映画は好きなことをやれ!コンプレックスも全部全面にだして作っていけばいいんだよ」ておっしゃっていて、その言葉に衝撃を受けて。それから自分のコンプレックスを全面に出した作品を撮り始めました。」
ーみなさんの映研の先輩が今すごい活躍されてますが、そのことについてはどう感じてらっしゃいますか?
「そこで活躍されている方って、個人個人の能力が高いので、多分この映研だったからってこともないような気がするので…なんとも言えないですね。
でも、この部に入る時に先輩にすごい監督さんがいっぱい出てる部だから、って言って勧誘されました。「君もその方たちの映画に出れるかもしれないよ!」って言われましたけど…。全然そんなことなかったです…。」
ー映画に精通している皆さんが目標にしてたり、好きな監督さんって誰ですか?
「高校の時に「リリィ・シュシュのすべて」を見て、それから岩井俊二監督の作品が好きですね。卒論でもテーマにしているんですけど、カメラワークや照明など構造分析をしてます。
あとは東映に鈴木則文監督という名物監督さんがいるんですが、藤純子さん主演の「緋牡丹博徒」シリーズや菅原文太さん主演の「トラック野郎」シリーズなど を撮った方で。その「緋牡丹博徒」シリーズが好きなので鈴木監督は好きな監督さんです。大学に入ってから邦画をよく見るようになりましたね。
あとはアニメーションだと宮崎駿監督です。キャラクターの描き方がすごい。特に女性のキャラクターがすごく魅力的だと思います。」
ー映画を作ってて一番よかったことってなんですか?
「自分が観客に感じてほしい部分の反応が返ってきた時ですかね。グロテスクな映画を作っていた時に、学園祭で流して「気持ち悪い」「なんでこんなの作るんだ!」「バカじゃないの」って言われた時が一番嬉しかったです。普通に「よかったよ」とかありきたりなことを言われることが学生の映画だと多いと思うんですけど、嫌な感情にさせようと思って作ったので、その通りの反応が返ってきたのは良かったなって思いました。」
ー逆に大変だったことは?
「みんな学生のノリなので、こっちが普通に映画館でやってる映画に負けない映画を作ろうと思ってても、ギャランティが出ないのでみんなモチベーションが低い。自発的にいいものを作ろうって思ってやってくれる仲間を探すのが難しいですね。」
ー皆さんが映画を撮る際に一番大切にしていることって何ですか?
「自分の目線で撮らないことです。カメラマンをやることが多かったのですが、普段見ている目線で撮っても、見慣れているのでスクリーンに写った時に新鮮じゃないんですよね。だからカメラの位置を目線より低くしてお腹くらいで撮ってます。
あとは線引きを大事にしてます。監督として他のスタッフの意見も聞きますが、自分の中でゆずれない部分は絶対にゆずらない。その線引きは大事にしてます。」
ー個人でも映研としてでもいいので、みなさんのこれからの目標を教えて下さい。
「僕は4年生なんですが、就職が決まって、CM制作会社に入りました。映画からは離れてしまうのですが、やっぱり映画にはずっと携わっていたいという気持ちがあるので、休みを使って趣味で自主制作映画は続けられたらと思っています。」
みなさん、映画祭のこと大好きな映画のことを熱く語って下さいました。みなさん映画にかける情熱がすごいですね!この中から次の映画監督が生まれることを期待しています。
そしてなんと!
映画祭でこのブログを見た!というととってもいいことがあるそうです。なんなのかはまだ秘密だそうです
ぜひぜひ皆様も映画祭に足を運んでみてはいかがでしょうか?
スペシャルインタビュー vol.2 長峰菜穂子(陶芸家)
果てない空インタビュー
このブログでは有名無名問わず高い志を持った方々のインタビューも掲載していきます。
第2回目はおしゃれな女性に大人気な陶芸家・長峰菜穂子さん。長峰さんの作品のこと、どうして陶芸家になったのか。そんな疑問をぶつけてみました。
長峰さんの変わりにモデルになってくれた猫ちゃん。長峰さんのアトリエを寝床にしているそうです。カメラを向けるとカメラ目線をくれる当たり…アイドルです!!
第2回 長峰菜穂子(陶芸家)
武蔵野美術大学工芸工業デザイン学科陶磁器科卒業。茨城県笠間焼窯業指導所釉薬研究科終了、青年海外協力隊参加、フィリピンにて陶芸指導。アトリエ線路脇に築窯。長峰さんの作品の特徴であるアンティークのような作品はおしゃれな女性からの支持が厚い。個展を開けば、行列ができ、売り切れることも多い今一番注目されている若手陶芸家。
「おばあちゃんになっても続けていけたらいいなって思いますね」
ー長峰さんが陶芸を始めたいきさつを教えて下さい。
「大学生の頃に陶芸を専攻していました。大学の1、2年でテキスタイル、木工、陶芸、デザイン…ひととおりやるのですが、3年で陶芸を選択しました。3年、4年と2年間やったのですが、全然思いどおりにいかなかったので、もうちょっとやってみたいなと思って。それでなんの知識もなく東京に近い笠間焼の窯元さんで修行も兼ねて3年間働いていました。最後の半年間は笠間焼の指導所の方で釉薬(焼き物の上薬)のことを一通り勉強しました。」
ー小さい頃に陶芸をやりたいなって思ったことはなかったんですか?
「小さい頃はまったく。ただ絵を書くことが好きで、ずっと絵を書いていたいなと思ってその流れで美術大学に進んだので。あと手を動かして物を作るのが好きだったんです。」
ー絵はお得意で、でも思い通りにいかなかった陶芸の方に進んだのはなぜですか?
「絵もすごく好きでしたし、得意だったんですが、陶芸はうまくいかないからこそもうちょっとやってみようかなって気にもなったし、絵って2次元ですけど、焼き物は3次元なので手で立体を作っていく感じが楽しくて。あと道具がいらないところがいいなって思いましたね。極端な話、手でそのまま形が作れるので。自分の手さえあればできるというところに惹かれました。でも隣で一緒にやっている金属の子はそれが嫌だったみたいですけどね。彼女も美術大学だったんですが、同じような過程をたどってはいるけれど結果、陶芸を専攻しないで鉄を選んだのは、焼き上がってまったく違うものになってしまうのが嫌なんですって。思い描いたものと全然違うものが窯からでてくるのが「あ、もうダメだ!」って思って(笑)。鉄だと自分でこう思い描いた形にきっちり作れて、できあがりも自分で思い通りにできるので。」
ー長峰さんは今でも思い描いてたものと焼き上がりって全然違うものがでてきたりしますか?
「違いますね。まだまだ思い描いているものとは…。」
ーでもそれが楽しみだったりしませんか?違うものができるのが。
「そういう時もありますけどね。でもそんなのは100のうち1つくらいで、だいたいががっかりって感じです。他の人がみてもあんまりわからないかもしれませんが。」
ーだからこそ次のは!って発奮したり?
「そうですね。次はもっと!ってなります。」
ー先程お話にも出ましたが、和紙の方、金属の方と3人の作家さんが一緒にアトリエをやってらっしゃるんですよね?全然ジャンルも違いますし、大学も違うみたいなのですが、どういういきさつで3人でやろうってことになったのですか?
「同級生なんですね。和紙の子が高校からの同級生で、和紙の子と鉄の子が大学が一緒で。で、3人でアルバイトが一緒だったんです。学生時代、イタリアンレストランで。それからみんな家も近いんですよ、この辺りに住んでいて。だから付き合いは学生のころからなんですよ。もう10数年。」
ーそれで一緒にアトリエやろうよってことになったんですか?
「彼女は東京に出たり、私も笠間に行ったり一度地元は離れたけれど、なんとなく同じタイミングでみんな戻ってきたので。ちょうど私も作る場所を探していて。このアトリエは和紙の子のお家なんですね。オーナーさんが和紙の子のお父さんなんです。それで貸してもらえることになったので3人でやり始めた感じです。」
ーこのアトリエ線路脇というのは誰がつけたのですか?とってもストレートだなと思ったのですが(笑)
(アトリエは線路脇にあります。インタビュー中、何度も電車が通りました。 )
「友達ですね。3人じゃないんです。全然関係ない友達が線路脇にあるから線路脇でいいじゃん!って(笑)」
ーそうだったんですね。なんとなく気になっていたんです。もうアトリエを構えてからは陶芸家として順調でしたか?
「いやいや、もう全然。売れ始めたのはここ最近なので。ここ最近食べて行けてる感じです。ここ3、4年ですね。」
ーそれまではアルバイトをしていらしてたのですか?
「はい、アルバイトをしていました。陶芸教室でスタッフのアルバイトをしながらここで作ってましたね。それでだんだんアルバイトとの両立が難しくなってきて辞めました。」
ーフィリピンにも行かれてたんですね。
「アトリエをやる前に2年間行ってましたね。職業訓練校があってそこで教えていました。地場産業としてお土産を作って少しでも収入になるように。近くのセブ島のような観光地で売れるキャンドルフォルダーとか作ってました。陶芸家とは全然違いますが、いい経験にはなりましたね。」
ー長峰さんが陶芸家になってよかったことってなんですか?
「いろんな人に会えることですかね。お客さんもそうですし、ショップの方もそうですし、同じ陶芸家の方とか。クラフトフェアとかで「これどうやって作ってるんですか?」って話しかけられて交流をもてるっていうのが嬉しい。本当にいろんな方がいらっしゃいますね。」
ー逆に辛かったことってなんですか?
「やっぱり日々土まみれで、夏暑く冬寒く肉体労働していると丸の内OLになりたかったなぁとか思いますけど…(笑)窯だきは朝4時、5時くらいから焚いた
りしますし、冬はなんでこんなことやってるんだろ〜とか思ったりします…。」
ーできあがった焼き物とか運ぶのも重いですよね?
「そうですね。土とかも重いですし、基本、肉体労働ですよね。ろくろひいて作ってるのなんてほんの一瞬です。ほぼ土作りしたり、重いもの運んだり、水で洗ったりっていうのが私は8割くらいな気がしているんですけど。」
ー準備が大変なんですね。女性は大変ですね。
「大変ですよ、腕力ついちゃって。手も荒れちゃいますね。冬は赤ぎれしちゃって痛いですし。まぁどんな仕事でも大変だと思いますけど。」
ー長峰さんって何度も個展を開かれていますが、個展ってどうやって開くんですか?
「売れる前からいつも常設で置いていただいてるショップさんがあるんですが、そちらのお店から「今度個展どうですか?」って言っていただいたり、クラフトフェアに出したときに声をかけていただいたりとか。」
ー1番最初の個展のことって覚えてらっしゃいますか?
「今はなくなっちゃった東京の古道具屋さんで「個展させて下さい!」って自分から持ち込んだんです(笑)」
ーすごい行動派ですね!個展を開くときってどれくらい作品を作るんですか?
「だいたい300から500くらいですね。そういう個展前は窯だきは朝早いので、工房で寝泊まりしたり、忙しく焼いてますね。焼かないことにはどうにもならないのでね。」
ーそこまでできる原動力ってなんですか?
「やっぱり好きだからだと思います。作るのも好きですし、作ったものがお嫁に行くのも嬉しいし、喜んでもらえるのも嬉しいですし。だって作るだけで誰も買ってくれなかったら1人よがりでどんどん作品がたまってっちゃうし。そんな単純なものです。」
ーそれだけ作っても最近は個展を開けば売り切れ、お店に行列ができるほどなんですよね〜。
「でもそれはここ最近2、3回のことですよ。まぁなくなっちゃうアイテムも多いですけど。」
ーでは陶芸でこだわっていることはなんですか?
「釉薬って色々な原料を配合して作るんですけど、試し焼きをしてどれがいいか試して。古いヨーロッパの器が好きなのでそういう作風を目指して作っています。釉薬が一番変化が出しやすいのでこだわっています。」
ー土にはこだわりってありますか?
「今 は土にはそんなにこだわりはないんです。それをやり出すとすごい何万種類にもなってしまうし、釉薬も作ろうと思えばいくつもでもできてしまうから。 土にもいろんな種類があるので両方に手を出すとすごい数になるんですよね。とりあえず今は半磁器です。半分磁器で半分土ものに固定して、釉薬だけいろいろ 変えてるんです。でも土ももっと勉強していろいろ変えていきたいなって思っています。」
ー先程お話に出た古いヨーロッパの器ですね?その古いヨーロッパの器を作った作家というのは誰ですか?
「特定の作家作品でなく、ムスティエ窯などフランス、スペイン、イタリアの田舎の窯元で作られていた器です。今はもう存在しない窯元がほとんどです。最近ではその中でも18世紀~19世紀にかけていくつかの窯元で作られていたキュノワールというシリーズが好きです。他にも色々な好きな窯元やスタイルがあります。」
ー古いヨーロッパの器に惹かれたきっかけは何かあったのですか?
「陶芸には無い表情が好きで最初は古い小ビンやガラス、古木などを求めに古道具屋に足を運ぶようになり、そのうちヨーロッパなどの器に魅了されていきました。」
ーその器のどういうところに惹かれたのですか?
「日本の‘侘び寂び’にも通じる静かなエレガントさ、晒された白い表情が好きです。最初は、どこかのだれかの作品をまねするのは恥ずかしいことなのだと思っていました。自分独自のオリジナリティを、他のだれも作っていないようなモノを作ることに価値があると。でもそれこそ今思えば恥ずかしことで、何にも影響を受けていない自分オリジナルなどないのです。“写す”という古典に習うことを知り、ヨーロッパの古い器に出会い、今は習う事に夢中です。」
ー最後にこれからの目標をお聞かせ願えますか?
「続けることです(笑)おばあちゃんになっても続けていけたらいいなって思いますね。ルーシー・リーっていう陶芸家さんがいるんですけど、おばあちゃんになるまでやってたからできるんだなって思って…。」
ーおばあちゃんになってもできるお仕事って素敵ですね。長峰さんの作る作品は従来の陶芸のイメージとは違って女性が手元に置いておきたいかわいい器が揃っています。ご本人もやわらかい雰囲気が素敵な女性でした。来年始めにも個展があるとのこと。お忙しい中お時間をいただきありがとうございました!
長峰さんの器も載ってます
暮らしの器―お気に入りの作家の器に出会える50のショップと陶器市
スペシャルインタビュー vol.1 海口ゆみ(舞台女優)
果てない空インタビュー
このブログでは有名無名問わず高い志を持った方々のインタビューも掲載していきます。
記念すべき第1回は舞台を中心に活躍する海口ゆみさん。海口さんがなぜお芝居を始めたのか、舞台の魅力はなんなのか。そんな疑問をぶつけてみました。
第1回 海口ゆみ(舞台女優)
成城大学卒。卒業後会社員を経て演劇の道へ。
「ロミオとジュリエット」(乳母役)、「夏の夜の夢」(ヘレナ役)、劇作家別役実さんの「赤い鳥の居る風景」等に出演。その他、時代劇では花魁、女将などを演じる一方、巫女、老婆など存在が特殊な役も演じきることができる個性派女優である。
「すべては舞台を見て楽しんで下さる
お客様のために。」
ー海口さんの舞台は何度か見させて頂きましたが、どうしてこの道に進もうと思ったのですか?
「一度きりの人生を後悔したくなかったから。月並ですけど。やりたいことをやりたいと思ったからです。」
ー昔からこの道に進みたかったのですか?
「思えば昔から舞台は好きでしたね。幼稚園の時はマスクプレイミュージカル「劇団飛行船」さんの舞台が大好きで。あまりにも私が喜ぶので母が年間チケットを購入してくれたくらい。それから高校生になると歌舞伎が好きになって。1人でも歌舞伎を見に行ってました。セーラー服で劇場に行くので目立つんですよね。だから観劇にいらした年配の方々からすごく声をかけられて。「おばあちゃんと見にきたの?」「いえ、1人です」みたいな(笑)。学生だからお金がなくてすごい遠い席だったりするんですけど、近くの席のおじさんが最中をくれたりとか。おじさん達、本当は自分のお孫さんと見に来たいんだけど、お孫さんたちは興味がなくて一緒に来れない。そんな方々がかわいがってくれて。そういう交流も楽しかったですね。
それから高校の時は演劇部に入っていました。でも1回か2回舞台に立っただけで、衣装と
か照明係とかで。その時はみんなで1つのものを作っていくのが楽しかったですね。で、大学は普通に。演劇はやらずにそのまま就職しました。」
ーその時、演劇の道に進むことは頭になかった?
「できないと思ってたから。そういう選択肢が出てこなかった。」
ーでもそれから安定してるOLさんを辞めてお芝居を始めるんですよね?それはなぜですか?きっかけとかあったんですか?
「社会人になると甘いことだけじゃなく、大変なことも多いじゃないですか。その時、同じ時間を過ごすならやりたいことをやりたいと思ったんですよね。就職した会社はいい会社だったんですけどね。会社を辞めたかったわけじゃないですが、やりたいことをやりたいと思って。」
ーそれで会社をお辞めになって舞台女優の道に?先程高校の演劇部の話でも出てきましたが、女優さんじゃなくても照明さんとか衣装さんとかではダメだったんですか?
「目立ちたがり屋なんでしょうね(笑)。自分で舞台の上に立ちたかったんです。」
ー会社を辞めてすぐに舞台に?
「青二塾に入りました。声優さんの養成所なんですけど。塾長先生の方針でお芝居の基本を教えてもらえたんです。そして養成所を卒業して」
ー晴れて卒業されて念願の舞台女優さんの道へ。具体的にどうやって舞台に立つのですか?
「まずはオーディションを受けます。そうすると一緒にお仕事をした方とのご縁ができて、そこから広がっていく。そこで今度こういう舞台があるからってお声をかけていただいたりします。」
ーキツくないですか?
「キツいですよ(笑)。大変です。」
ー何が一番キツいですか?
「24時間稼働している感じがすることですかね。ちゃんと寝てるし、ご飯も食べてるんですが、頭にいつも芝居のことがあります。夢にも見ますし、稽古してる夢とか。でも大変だけど充実してます。あと舞台だけでは食べていけないので、いろんな仕事をしてなんとかやってます。」
ーそれは大変じゃないですか?
「大変ですけど自分で踏み込んだ道だから。あとやっぱり結局好きなんだと思う。好きじゃないとできない。」
ー働くことが?
「お芝居が。」
ーそこまでできる舞台の魅力は?
「お客さんがすぐ見てる目の前で芝居ができること。舞台って舞台の上じゃなく劇場で見てるお客
さんがいて初めて劇場全体が動き出すんですよね。お客さんが居てくれないと意味がない。うまくいけば笑い、だめだったらシーンとなる。反応がありますから。お客さんと一緒に作っていけるんです。それが一番の魅力。映画やテレビではできないことです。
例えば1つの公演で重要な台詞を忘れたり噛んじゃったりすると他の人がフォローする。同じ脚本の舞台ですが1回として同じ芝居じゃないんです。映画は何度見ても同じですよね。フィルムに残ってるから。でも舞台はその公演は1回しかない。一度として同じものは出てこないんです。」
ーなまものですもんね。たまに間違えたのか役者さん同士で笑ってたりしますもんね。
「それでまたお客さんも楽しんでくれたりとか。それも1度きりのものなんです。」
ー舞台に立つ上で一番心がけていること、大切なことはなんですか?
「いい影響を与えたいってことですかね。一段高いところから発信していくんだから楽しんでもらえるものを作りたい。いいエネルギーを感じてもらえたらと思います。」
ー最近暗い、救いようのない映画とかドラマとかたくさんありますけれど?
「それはそれで意味のあることだと思いますけど。現実をどんと突きつける!みたいな。でも私はどうせやらせてもらえるんだったらいい影響を与えたいんです。」
ー誰かこうなりたいとか目標にしている俳優さんとかいらっしゃいますか?
「こういう俳優さんになりたいっていうか…私は昔から渡辺謙さんが大好きで。「独眼竜政宗」の時から好きなんです。謙さんも演劇集団円の出身で、残念ながら一度も舞台は見たことないんですが、画面から伝わるパワーとかエネルギーがすごい!あと渋いですよね。それから香川照之さんも好きですね。エネルギーのかたまりみたい。すごいエネルギッシュです。」
ー海口さんは先程から、エネルギーと言う言葉をよくお使いになってますが、エネルギーは重要なものですか?
「重要ですね。誰々さんと話すと元気が出た、とか言うじゃないですか。テンションが高い…とは又別なんですが、そういう人になりたいですよね。そういう意味でエネルギーって大切なんじゃないかな。」
ー海口さんが最近見た作品のなかで印象に残ってる作品ってありますか?
「映画では「インセプション」見ました!面白かったですよ。」
ー謙さん出てますね。でも難しいお話だって聞きますけど?
「2回見に行きましたから(笑)すごいよかったです。ドラマだと「南極大陸」見てます。舞台は「大奥」見に行きました。衣装がすごかったですね。あと出演者がほとんど女性だからあれほどの女優さんが集まると本当に華やかです。」
ー海口さんは衣装も自分で用意なさるんですよね。以前花魁役をなさってましたがその時は?
「成人式のときの着物を使って自分で縫って衣装にしました。親に泣かれました…(苦笑)。衣装って別に凝らなくてもいいんだけど、やっぱり大事じゃないですか。見てる人にもやる方にとってもそう見えるか、そうなれるか。だからお金かかりますが、妥協しないですね。」
ーお芝居のレッスン、稽古ってどんなことやるんですか?
「何だって稽古ですよね。日常生活すべてが。今はしてないですが、ボイストレーニングだったり、体作る人もいますね。舞台が決まれば、本読みをして演技…立ち稽古・抜き稽古と言ってシーンごとの稽古に入って、あとは通し稽古。一幕から終幕まで稽古して、もう小屋入りで本番です。」
ー海口さんはどうして舞台に立とうと思うのですか?
「すべては舞台を見て楽しんでくれるお客様のためだと思ってます。見に来てくださるお客様がいるから支えてくれるお客様がいるからやっていけるんだと思う。どれだけ多くの方に支えてもらってるか…家族、見に来てくれる友達、一緒に作品を作り上げていく仲間。感謝してます。やりたくたってやれない人はたくさんいるから。震災のこともあって当たり前のことじゃないんだなぁと本当に感謝です。」
ーでは、この職について一番よかったことはなんですか?
「お客様からのアンケートとか読んだ時や、直接声をかけていただけたときですね。その舞台をご自身の気持ちとシンクロさせて見てもらえたりとか。以前、乳母役 をやらせていただいた時に育てた子を亡くすシーンがあった。乳母にとっては自分が育てた訳だから我が子も同然で。その舞台を見たお客様の中に年配の女性の 方なんですけど、娘さんを亡くされた方がいて…。「何年も前のことですが、死んだ娘のことを思い出しました。」って言われて…。そのときこの方の人生と私 の芝居が繋がった。すごいことですよね。全然知らない人ですよ。身近な人は褒めてくれますが、知らない方にそんな声をかけていただけるなんて…。本当に嬉しかったです。」
ーそれでは最後に海口さんのこれからの目標を教えて下さい。
「本当にお芝居がしたいし、お芝居に関わることをしたい。求められる人になりたいですよね。この役だったら海口!とか。その作品にも求められる役者になりたい。もちろんお客さんにも。」
ー基本は明るく、ユーモアたっぷりなのにお芝居のことをお聞きすると途端に真剣な目で真摯に語ってくれた海口さん。とても素敵な女優さんだと感じました。
今後の海口さんの活躍が楽しみです!ありがとうございました!!